世宗の第7子、生母は李元妃 「皇帝・衛紹王・人物」

衛紹王は金の第7代皇帝。

諡は紹王、すなわち衛紹王とは「衛の紹王」である。

諱は允済、後に永済。女真名は果縄。

世宗の第7子、生母は李元妃。子に皇太子の梁王従恪らがいる。

同母兄に鄭王允蹈、同母弟に-王允徳。

父の存命中には薛王、滕王に封じられ、甥の章宗により-王、韓王に封じられ、沙汰に承安2年に衛王に封じられる。

このころ、異母兄である宣太子允恭が皇帝位を追贈されたために忌諱し、名前を「永済」と改めている。

長身の美男子で質素な人物としての評価がある一方で、暗愚な一面も認められる。

章宗の命によりモンゴルへの正使として、宗室の福興を副使に従えてモンゴル平定直前のチンギス・ハーンの所へ赴いた。

だが衛王の容貌を見たチンギスは愚鈍であると言い放ち、わざと衛王を無視して副使の福興に対応し、謁見が終わると自らの幕舎に帰った。

かつてない屈辱を受けた衛王は帰朝後、章宗に対して野粗で野蛮なモンゴル族を滅ぼすべきであると直訴している。
update:2010年03月09日